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『いちご物語』 透明で純粋な永遠なる
 大島弓子 1975年 朝日ソノラマ

 神さま
 けしごむで
 今日一日を
 けしさってください
 そうすれば
 昨日とあしたが
 つながりあい
 わたしは
 昨日のわたしのまま
 幸せな
 無知な子どもで
 いられます
 
 『いちご物語』大島弓子(1975年 小学館)より抜粋 

主人公の「いちご」は、遥かラップランドから
大陸鉄道を乗り継ぎ、乗り継ぎ
亡き父の面影に似た日本の少年宅へ向かう。
以前ラップランドを訪れた少年、林太郎の花嫁となるべく。
旅先で知り合ったに過ぎない「いちご」に、
林太郎と家族は戸惑いながらも
家に招き入れ、慌ただしくも暖かな生活がはじまる。
作家の父は、信念の為の執筆と、
生活の為の執筆との板挟みのジレンマに陥り
皆の母親代わりの、優しく穏やかな兄は、
家計を支える深夜労働がたたって倒れる。
林太郎は、幼なじみのガールフレンドとの関係が、
どういうものであったのか気付かされててゆく。
いろいろなほころびがいちごの出現によって
晒されてしまうのだ。
作中のトラブルは、なにもかも、いちごの純粋さ、
優しさによるものだが
純粋さがあったとしても、不純物が少しでも入ってしまっている
(当時の)現代人たる登場人物達は、自分のことを顧みず
つい、いちごの透明さを見誤りがちになる。
「フェロート」、「フェロート」、「フェロート」…
善意の気持ちでやったことにもかかわらず
この謝りの言葉を何度も何度も皆に言ってしまういちごは
純粋さを保ったまま、代わりに身体が外からの
不純物に浸食されてしまうのだ。
現代人にとっての純粋さはもう「毒」でしかない。
わかりあえぬ、相容れることのできぬ環境は
温室の花が無理矢理に厳しい軒下に棄てられるように
だまって術なく、はかなくなるだけなのだ。
読者はただ、いちごの純粋を見守るしかできない。
そして、傍にいる林太郎の悲しみは読者より深いだろう。
「強くなれ」などと誰が言えるものか。
実際生きていても人間、そうそう持って生まれた資質を
変えることなどできない。
普段、誰かに対して「〜しなくてはならない」などと
サラリと云う人ほど、その〜しなくてはならないに捕われ、
身動きできないのではないだろうか。私も含め。
ひとりひとり、生き方や役割が違って当然だ。
この世に万人にとってのユートピアなどないにせよ、
だからこそ共存するという「姿勢」は持っていたい。
私にも、誰にも、心の中にささやかな庭がなくては
生きていけないだろうから。
「フェロート」がいつまでも痛く、私の心を刺しているのは
私にもいちごが謝っているからなのか?
それは何に向けて?
「理想論」が空虚な言葉であるという現実から?
私は痛みを感じながらも、ふたたびページをめくることだろう。
いちごに対して、もう自分がなりえない、やまない憧憬と
自分に対するどうしようもない後悔と
なにかに対しての謝りの言葉(フェロート)を見つけに。



蔵書リスト

『トーマの心臓』 萩尾望都 1974年 小学館
『フランス窓便り』 田渕由美子 1976年 集英社
『空の色ににている』 内田善美 1981年 集英社
『いちご物語』 大島弓子 1975年 朝日ソノラマ
『キャンディ・キャンディ』 水木杏子原作、いがらしゆみこ画 1975年 講談社
『エマ』(現代) 森薫 2002年 エンターブレイン

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