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『空の色ににている』 必要なもの(そしてありがとう)
 内田善美 1981年 集英社

 
悲しくはないんだ 猫を手もとに置くってことはね
 出会ったその時に もう やがてくる別れの悲しみを
 先どりしているみたいなところがあってね・・・・(本書より)

 
これを書いた時期、丁度わたしは猫を亡くしたばかりだった。


本書は、いままで私が読んだ少女漫画のなかでは
間違いなく一番にあたる作品である。
また、内田善美入門編としても、いちばん解りやすい内容だ。
今後、私のなかで内田善美を超える作家など現れるのだろうか。
もう絶版になっているが、「読む用」「保存用」「有事の予備」と
しっかり3冊所有している。
申し訳ないが、大切すぎてやたら人にも貸せない。
うちに来て読んでいただく分には大丈夫なのだが。
(お茶とお菓子つきでウェルカムだ。なんならお風呂とお布団も提供しよう)

『空の色ににている』は、
私にとって必要なものは何なのだろうか?と
現在進行形で何度も考えさせられる一冊だ。
マンガを超えたひとつの哲学書であり、文芸作品だと思っている。
聖書同様、自分の心のなにかに語りかけたくなったとき幾度も読んでしまう。
そして読むたび自分の本書に対するテーマが変わる希有な漫画である。
その為、一読で全体を理解するのは(私の頭では)至極困難である。
彼女の作品『星の時計のLiddell』はさらに哲学的に掘り下げた内容だが
今回は『空の色ににている』について語りたい。
ここから先、纏めきれずに、だらだらと長い駄文が続くので
どうか覚悟してほしい。

欠けた部分を持つ円がある。
その円は、ぴったりと自分に合うかけらを探す旅に出る。
円は、かけらを見つけることが出来、完璧な円になった。
「かけら」とは、自分が本来持っていない要素だ。
かけらが少しでも違うと、しっくりこない。
だが、自分にぴったり収まると満足感で満たされ、無敵に感じる。
そしてその「かけら」も自分に合う円を探し求めているのだ・・・・・。

・・・・・しかし、その「円」にとって
居心地の良い(やや語弊があるが)のは
「ぴったりと合うかけら」なのだろうか?
補完すること、完璧になることこそが全てなのであろうか?
もしかすると、希求すべき存在とは、自分と瓜二つの欠けた部分を持つ
同じ時に笑い、同じ時に泣き、同じ時にころぶ
瓜二つの部分を持った、同じ欠けた円ではないのだろうか?

名著『ぼくを探しに』を題材に取り入れながらも、
内田善美はこの「欠けた円」について
美しい絵と台詞まわしで彼女なりの解釈をしてゆく。
シェル・シルヴァスタイン, 倉橋 由美子, Shel Silversteinぼくを探しに

主人公の少年は図書館の貸し出しカードに、
自分とまったく同じ本を読む少女の名前を見つける。
二人しか知らない、暗号めいた想いの追いかけっこ。
少女は、自分のかけらを美術家志望の寡黙な青年に見いだし、
また青年も少女と、そして主人公を自分の内に受け入れるが・・・・・。

前述のように「かけら」とは自分に無いものだ。
作中に、こういうエピソードがある。
主人公がかわいがっていた猫が失踪した。
多分、その先にあるのは死。
猫の失踪とその先にあるものについて感傷的に考えこむ少年と
傍らで聞いている少女に対して、青年はこう言い放つ。

 おまえって ほんとくだらねぇな
 人間さまが 手前勝手な理屈をこねたところで
 とどのつまり 猫は猫さ
 人間に飼われてたって野生さ
 猫として生まれ 猫として死んでゆく
 それだけだ

これが、彼なりの哲学だ。
そして自分と正反対の考えを持つ青年に対して少年は

 
そうさ そうさ とどのつまりはそうなんだ
 それでも僕は からまわりと知りながら
 何なのだろう 何なのだろうって 考えてしまうんだ
 僕をとりまくすべてのものが
 僕などに思いをとどめることなく ゆき過ぎてゆくけれど
 それでも僕は むくわれないと知りながら
 いろんなものを 想い愛さずにはいられないんだ


こう思いながらも少年は青年に共感を覚える。
そして又私も、この両方の考えに理解と共感を抱く。
どちらかというと今の私は、
少年の立場同様、感傷的に猫の死について考えてしまうので
今は上記の青年の言葉を読み返し、心のバランスを保っている。

このエピソードのあと暫くして少年は、
「偶然」に子猫を家に招き入れる。
まるでそうと解っていたように・・・。
数日かけて改めて読んだら、私の心も救われたような気分になった。
ああ、そうか。ここにいたんだね。ありがとう・・・。

欠けた円が、かけらを見出す。そして真円が完成する。
それはニュートラルな状態だ。
しかし、果たしてニュートラルな状態、
言い換えて完璧な状態を永続することが
即ち心の平安、「人間として」の完成形なのであろうか?
主人公たちは、作中で答えを見つけたようだが
難しい命題だ。
私にとって必要なものは
補完すべき、かけらなのか (否定するなかにも惹かれる存在)
瓜二つの良く似た他者なのか (共感してくれるあたたかい存在)
いまだもって、はっきりと答えはだせないままでいる。
欲をいえば、どちらも必要な存在なのかも知れない・・・。
子供のとき読んだ漫画『キャンディ・キャンディ』でいえば、
前者が「テリー」、後者は「アルバートさん」的存在である。
昔は断然テリー派(笑)だったが、今ではどちらも好きだ。またまた蛇足。

まるでクラシック音楽のような緩急のはっきりとたテンポで
しかしゆったりとした時間も感じながら、つい読み込んでしまう作品だ。
青の色の解釈、自然や野生の不思議、美しい四季の描写、空気感、
ふたつのボーイ・ミーツ・ガール、猫、そして、生と死―。
総て私にとってどれも好きなテーマである。

ページをめくれば、ひとコマひとコマに無駄のない、鮮烈なイメージが
1980年の作品などとまったく意識させない質の高さで、
脳に、心に静かに飛び込んでくる。
「脳」とも書いたのは考えさせられる部分が多いからであり、
「心」で感じる部分も、無論数えきれない程だ。
読むと同調して主人公と同じに
「心がチクリと痛くなる」感覚をもってしまう。
画力に関してはいうまでもなく
少女漫画では緻密さ、美しさともに最高峰であろう。

最後には作品の中にちりばめられた色々なテーマが
ぱたぱたと綺麗に収束していく様を読んで、
寂しく悲しい部分もあるが、きっと心地よい読後感が得られるはずだ。

この作品については一回では語りつくせない。
今回も書きたいことがありすぎて、うまく纏めることができなかった。
またいつか落ち着いて、別の切り口で語ってみたいと思う。

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主人公がロードワークの途中、道端の野の花に
猫を想い、元気かと語りかけるシーンがあった。
我が家の猫は去ってしまったが
きっと、道端の蝶に、花に、新しい生命を見つけるたび
私も猫を感じ取れるような気がしてきた。
たしかに、不思議とここ数日たくさんの蝶や虫や生命あるものを
普段よりも多く目にしていたように感じる。




蔵書リスト

『トーマの心臓』 萩尾望都 1974年 小学館
『フランス窓便り』 田渕由美子 1976年 集英社
『空の色ににている』 内田善美 1981年 集英社
『いちご物語』 大島弓子 1975年 朝日ソノラマ
『キャンディ・キャンディ』 水木杏子原作、いがらしゆみこ画 1975年 講談社
『エマ』(現代) 森薫 2002年 エンターブレイン

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