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『トーマの心臓』 御手はあまりにも遠い
 萩尾望都 1974年 小学館

 どうして お父さん 神様は
 そんなさびしいものに 人間をお作りになったの?
 ひとりでは 生きていけないように (生前のトーマと父との会話)

舞台はドイツの寄宿制の学校。
誰にも優しく、聖人君子のような優等生「ユーリ」。
しかし彼の心の闇は深く、その罪悪感ゆえに
心の底では誰をも愛せないまま、信じられないままでいた。
そんなユーリに宛てた遺書を、ひっそりとのこして、
下級生の「トーマ」が陸橋から飛び降りた。
それを自己のおしつけだと片付けるユーリ。
ある日やってきた転校生は、トーマにそっくりの容貌をもっていた。
愛に対して、疑うことを知らない真っ直ぐな転校生、「エーリク」に
ユーリは殺意に似た嫌悪感を覚えるが・・・。
漫画読みにはいわずと知れた、萩尾望都の文学を越えたといわれた傑作漫画。

 天国の 狭き門より くぐりいることのできる 翼を
 ぼくだけが持たなかった
 ぼくだけが 彼らのなかの ユダだった (ユーリの独白)

潔癖でありたいが故に、自らを汚れたと感じ、
誰もそんな本当の汚れた自分を愛さないだろう、
そんな自分の内面を知らない者に、
愛情を持たれても何を知っているというのだ?理解したというのだ?
そしてそんな自分も他人を愛する資格などない。
偽れば偽るほど、自己嫌悪と他者への拒絶の深みに嵌っていくユーリ。
ユーリを救ってあげたいと願うが、自分では力不足であると認め
ひっそりと、ユーリを見守るルームメイトの「オスカー」。
オスカーは、疑いを知らないエーリクならユーリを救えると、その思いを託す。
しかし、ひとつ年上で老成して見えるオスカーも、
複雑な事情で父母を失い、心の奥底では愛に飢え、愛を求めていた。
この漫画は救済の漫画である。
テーマは「愛」。アガペーとしての、許しの愛にあふれている。
ひとりひとりの登場人物が「愛」に意味を求め、考え、
最後にはそれぞれの答えをみつけてゆく。
池に投じたいくつかの石が、それぞれ波紋を描きながら
他の波紋と交わってゆく・・・そんな印象の、心に染み入る作品だ。
独特な絵柄と、オカルティックなタイトルで嫌厭する方もいるかもしれない。
それでも、こうして私はもう十何年もこの漫画を手もとに置いて
それこそ聖書のように、繰り返し、繰り返し読んでいる。

 好き という感情に対して
 ぼくは幼いころからなんの抵抗も 持たずにきた
 ・・・愛するものは それがなんであっても同じだった
 本でも 家でも 小鳥でも 歌でも
 それらのすべては 根本でつながっていて
 さびしさゆえに人は愛さずにはいられないと いう気持ちは
 ごく自然なものだった・・・が
 そんな簡単なことが なぜユーリにはできない (エーリクの独白)

このように、愛に対して、何に対しても、天真爛漫なエーリクに
ユーリはこう返す台詞がある。

 ・・・罪の意識のないものはいいね!
 そうとも いつもきみに 悪気はないんだ
 ・・・きみは知らないんだ きみには なにも
 きみの世界は いつも あけっぴろげで 光の中にあるから・・・

ドイツという土壌で、自分は生粋のドイツ人でない、という劣等感を密かに持ち
一方では、南方の血を持つ尊敬する亡き父のようになりたいと願い
しかし、そのためには、尚更良きドイツ人でなければならない、
日々優等生として生きるユーリ。あまりにも生真面目に生きる事を自ら強いる彼。
そんな不自然な生き方はどこかで破綻することは目に見えている。
惹かれ、望んで向かった悪徳は、さらに彼の心のバランスを崩してしまったのだ。
本来の自分を隠し生きるユーリには、真直ぐなエーリクが恨めしく写る。
エーリクは、見た目もさることながら、その内面も亡きトーマに似過ぎていた。
しかも、隠しているユーリの傷口に、エーリクはずかずかと入り込んで来るのだ。
エーリクさえいなければ、誰にも傷口を暴かれることなく、
平穏なまま過ごせるのに・・・
そう考えるユーリだが、膿は取り除かなければ快癒することはない。

 おおくの人が、きっとユーリのような一面を持っていると思う。
 汚れた自分、特に思春期にあってはなお潔癖でいたかった自分。
 そして大人になるにつれ、世の中の仕組みを知るにつれ、さらに
 絶望や、やるせなさを知り、回避する術を身につけてしまった自分に対して
 ますます汚れたと思ってしまう。
 そして究極、自分の心の体内温度が下がり、虚無で満たされる時がある。
 そんな「汚れ」の内面に入り込む人間がいたとしたら、拒むのは道理だろう。
 同情されるのも恥ずかしい位の闇を暴かれるのだから。
 それならば、誰にも悟られる事なく、ひっそりと虚無の時間を生きてゆきたい。
 私の心情はユーリに近く感じ、読むごとに心が締め付けられる思いになる。
 そして最後にある救いを求めて、ページをめくるのだ。
 しかし、私にはまだその「御手はあまりにも遠い(ユーリの独白)」。


エーリクは初めに会った時から攻撃的なユーリ、
しかも死んだ人間に似ているといわれ
なぜ?なぜ?なぜ?の連続だ。
母の恋人達への嫉妬や、
喪失感からひきおこされるパニック障害という根はあるが
基本的に母の愛情を一身に受けて、真直ぐ育ったエーリクは
ややもすると、我侭で、他人を思いはからず、子供っぽい面もある。
しかし、突然の母の死をきっかけにして、ユーリの優しさや
深い悲しみを「その原因」を知らないのに悟っていく。
そうして、彼はトーマのようにユーリを救ってあげたいと
心から願うようになるのだ。

 
▲ユーリの秘密を知りたいかと聞くオスカーに対して

 
ぼくは ずいぶん 長いあいだ いつも 不思議に 思っていた
 なぜ あの時
 キリストは ユダのうらぎりを 知っていたのに
 彼をいかせたのか
 “いって おまえの すべきことをせよ”
 みずからを 十字架に 近づけるようなことを
 なぜ ユダをいかせたのか
 それでも キリストは ユダを愛していたのか?
 ユダもまた キリストを愛していたのか
 きみも また 知っていて
 だまっていた だまって 見ていた
 ぼくの舞台を
 ぼくがみずからを あわれんでいたあいだ (ユーリのオスカーに対する独白)

最終的に、オスカーやエーリクらの愛情、亡きトーマの死は
無償の愛であったと知っていくユーリ。
いままで、他人を拒み、自分を哀れむことしか出来なかったユーリは
愛の真理にふれて、傷心のオスカーに手をさしのべる。
これは贖罪の意識か、いや、ユーリが本来持っている自然な感情からの行為なのだろう。

 愛していると いった その時から
 彼はいっさいを 許していたのだと
 彼がぼくの罪を 知っていたかいなかが 問題ではなく
 ただ いっさいを 
 なにがあろうと 許していたのだと (ユーリのトーマに対する独白)


トーマの愛は「死」によって証明された。
死をもって…あまりにも極端すぎるが、そこまでしても
ユーリを救いたいと思う気持ちは究極の「無償の愛」なのである。
(おのが身を捨てて死するが故に…聖フランチェスコの一文が心に浮かぶ)
すべてを許し、包み込むような愛は、この物語の基軸をなしている
イエス・キリストの愛につながる。
これはフィクションであるから、トーマはイエスの象徴だったのかも知れない。
現に、トーマは話の中では回想として語られるか、幻影としてでしか登場しない。
リアルに生き、共に語らう事のない「トーマの存在」を読み解くのは
聖書の中にあるイエスの愛を読み解く行為に似ているのではないか。
私は6年間、みっちり聖書を読み込む環境で育ったせいか、
すんなりとキリスト教的な内容を受け入れることが出来たが、
もし、興味がおありの方がいたら、是非聖書との併読をお勧めする。
私は特定の宗教は持たないが、宗教書(カルトなどの極端でないもの)は
自らが納得できるような愛について語られている。
仏教でも、何でも、慈悲の心は美しく、あたたかい光に満たされている。
最終ページに近付くにつれ、登場人物たちの表情が穏やかになっていく。
そして、愛に対してそれぞれの答えをだしてゆくのだ。
雲間から日が差し込み、池の波紋が平らかになり
雨上がりの澄んだ空気のような読後感に満たされる作品である。



▲『トーマの心臓 第3巻』萩尾望都 昭和56.6.1 小学館より

エーリクが、亡くなったトーマの家を訪れたあと、
途中まで送ってくれたトーマの父と別れてから
トーマの思いと、自分の思いは同じであったと確信するシーン。

 人はさびしさゆえに 愛を知らねば生きていけない…
 …きみはぼくと同じように いつまでもさびしかったのだろう
 だからいつも なにかをさがしていた…


私の好きなページです。


蔵書リスト

『トーマの心臓』 萩尾望都 1974年 小学館
『フランス窓便り』 田渕由美子 1976年 集英社
『空の色ににている』 内田善美 1981年 集英社
『いちご物語』 大島弓子 1975年 朝日ソノラマ
『キャンディ・キャンディ』 水木杏子原作、いがらしゆみこ画 1975年 講談社
『エマ』(現代) 森薫 2002年 エンターブレイン

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